いましはたれぞ

仮初の電脳空間で敢えて統合を分解してみた軌跡

性根の主幹

 私は周囲の大人達が押し込んでくる「根性論」が大嫌いだった。
 だから、そうじゃないやり方を探して時空を越えた本の海に漕ぎ出し、永い間彷徨い続けた……気づけば所謂「自己啓発」本が部屋の片隅にいくつかの山を小高く積み上げていた。

 

 様々な技法や考え、感じ方と出会った。共感し訳無く受け容れられたものもあったし、理解に苦しみ受け止めることすら難しいものもあった。それらの列挙に終始するだけの本も少なからずあった。今になって顧みればそれらは小手先の枝葉末節で、人間や時代が変われば容易く変わり得るものだった。
 中には著者が心魂を注ぎ、時代が時代なら彼の血潮を墨にして語りかけてくるものもあった。彼らの血気に中てられた私が読み解き、辿り着いたのは次のような内容である。

「成したい事があるのなら、あれこれ工夫しながら出来るまでやり続けろ」

 これに至った頃の私は自嘲を禁じ得なかった。
 お察しの通り「根性論」が嫌いな私がそうじゃないやり方を求めて掴み取ったのがこの上ない「根性論」に他ならなかったのだから!
 だがこの記事を書いている今現在は、それを大事に扱うわけでもなく無論軽視するわけでもなく、唯淡々とそう出来る自分で在ろうと覚悟している。
 何故なら「根性論」は他人に向かって言い放つものではなく、自分で自分を解き放つためのものなのだから――。